デスバレー国立公園


デスバレー国立公園

1994108日国立公園。全米の国立公園中、最大広さで総面積は13158平方km長野県と同じ広さ。

アメリカのカリフォルニア州中部、モハベ砂漠の北に位置する深く乾燥した盆地。 そこは西半球で最も低く、そして最も暑い場所。谷の中心部の標高は、海抜-86m。 真夏には50℃を越えることもあり、年間平均降水量はわずか50mm、まさに死の谷。

1913710日には観測史上最高の華氏134度(摂氏56.6度)を記録。1929年と1953年には 年間降水量ゼロ1年間全く雨が降らなかった記録もある。

1972715日には、ファーニス・クリークの地表温度は華氏201度(摂氏93.89度)を記録した。暑く不毛の地にも思えるデスバレーにも多くの野生動物や植物が生存している。山脈に住むコヨーテ、大角ヒツジ、ボブキャット、コウモリ、クーガーやラバ鹿など52種類の哺乳動物、307種の鳥類、36種類の昆虫、5種類の両生動物が生息している。

2月中旬から4月中旬ファーニス・クリークではポピー、ユリ、ヒナギクやサクラソウが花を咲かせ、4月から5月初旬は、標高の高いエリア600m900mのパナミッット・マウンテンに春に成る。カリフォルニア州とネバダ州州境にあるデスバレーは、アラスカを除くとアメリカで最大の国立公園。 長さは200Km、幅は25Kmとほぼ福島県同じ大きさ。標高も海面下の谷から3000mを超える山がそびえ立つ。

バッド・ウオ

西半球で最も低い場所で海抜-85.2m。元々塩水湖だった場所で、真っ白な大塩原には塩の結晶が美しく、塩の道は絵に成ります。

デビルス・ゴルフ・コース

塩の結晶と泥が混じり合い、固まり。岩を造り上げている。 人間にはゴルフなんかできないような荒地だが、悪魔ならプレイできるだろうと名が付いた。

スコッティ・キャスル
デスバレーの北の端に建つ、保険業界の大金持ちの別荘。 異様なほどゴージャスな館で、贅の限りを尽くした内装に驚かされる。名前の由来は、金鉱掘りのスコットが彼の投資家だった大金持ちの別荘をあたかも自分のものであるように吹聴した為、そう信じられる。

デスバレーの動く石

元々湖底が隆起し干上がった大地。 ところどころに唐突に石があり、動いた跡ついている。 場所によっては複数の石が同じ方向に動いて、気の長いレースをしている。泥に覆われた地面が濡れて滑りやすくなったところへ、強風が吹いて動いたとする説が有力だが、まったく逆方向に動いた石が並んでいることもあるし、なかには直径1m以上の大きな石もあり、ちょっとやそっとの風では動きそうにない。 実際に石が動く瞬間を目撃した人はいないが、最近謎が解明されたと・・ニュースが?

アーテスト・パレット

地球内部のパワーが噴出し、色彩豊かな鉱物が露出している。 黄色、赤、茶色、緑や紫の岩があり、アーティストが絵の具で塗った様な景色です。


ゼブラスキ・ポイント

デスバレーの背骨と言われている。黄金色の泥が1000万年前に湖底に沈殿して出来た地層で太陽の光を浴びると金色に輝く山が美しい。 ロック・グループU2のジョシュア・ツリーのアルバムのロケ地


ダンテス・ビュー

デスバレーを一望する標高1669mの展望台。眼下には-85.2mの白い塩の広がり、正面には3000mを超えるシェラネバダ山脈が西海岸との大きな壁と成っている。

デスバレーの地名は、1849年ゴールドラッシュ、カリフォルニア州にある金鉱地へ向かっていたグループが近道をしようとこの谷に迷い込み、数週間さまよった末にメンバーの数人が酷暑と水不足によって命を落とした事に由来している。

最初に人類が定住したのは紀元前7000年頃、狩猟採集民族のネバレス・スプリング族が居住していた。マンリー湖やパナミント湖の巨大な湖があり、気候は温暖で動物が数多く生息していた。

紀元前3000年頃、ネバレス・スプリング族に代わってメスキート・フラット族がこの地域に定住。

西暦元年頃、高温で乾燥した砂漠へと変化したこの地域に、サラトガ・スプリング族が移住。サラトガ・スプリング族は集団での狩猟技術に優れた民族で、手工芸にたけていた。デスバレーの谷底には、サラトガ・スプリング族によって作られた、奇妙な形に配された石が残されている。

1000年頃、遊牧民族のティンビシャが移住。ティンビシャは、「ショショーニ族」と呼ばれ、「パナミント」や「コソ」の呼び名であった。移住してきたティンビシャは、狩猟や、メスキート、ピニヨン・パインの実を採集して定住。

ゴールドラッシュ

有名な鉱石は、食塩やホウ酸塩、滑石などが堆積した蒸発残留岩に含まれるホウ砂で回収しやすく、利益率の高い鉱石。1881年、初めてホウ砂が発見され、イーグル・ボラックス・ワークスがデスバレーでホウ砂の商業活動を開始。

1883年の末にはハーモニー・ボラックス・ワークスのウィリアム・テル・コールマンがこの地域に工場を建設し、1888年まで石鹸の製造や、工業用に使用されるホウ砂の生産を行った。

トウェンティ・ミュール・チームが265km離れたモハーベにある鉄道までホウ砂を輸送した。工場と鉄道とを30日かけて往復。1920年代まで、世界第1位のホウ砂の供給源。





デスバレー国立公園 #1
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デスバレー国立公園 #2 
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デスバレー国立公園 #3 
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デスバレー国立公園 #4
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デスバレー国立公園 #5
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デスバレー国立公園 #6
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デスバレー国立公園 #7
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デスバレー国立公園 #8
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デスバレー国立公園 #9 
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デスバレー国立公園 #10
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デスバレー国立公園 #11
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デスバレー国立公園 #12
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デスバレー国立公園 #14

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デスバレー国立公園 #15
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米国ラスベガス写真家KEN KANAZAWA
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# by javaho3 | 2015-07-13 07:44 | デスバレー | Trackback

ザイオン国立公園 ユタ州


ザイオン国立公園 ユタ州

1919年ザイオン国立公園に登録。
Zionはヘブライ語で避難所又は神の国の意、
日本語では「シオン」である。

コロブ地区は
1937年に別のザイオン・ナショナル・モニュメントとだが、
1956年にザイオン国立公園に統合された。


ユタ州に位置、南はスプリングデール、東はマウント・カーメル・ジャンクションに接している。
593平方kmの広さがあり、特徴は、長さ24km、深さ800mのザイオン渓谷で、
バージン川によって、赤いナバホ・サンドストーンが侵食された。


東側には、チェッカーボード・メサとイースト・テンプルがある。
コロブ側には世界最長のアーチ、コロブ・アーチがある。

ザイオンとコロブ渓谷には、中生代の15000万年前の地層が見る事が出来る。
浅い海の時期、当時では最大の砂漠などの時期があったが、
コロラド高原の隆起により、
1300万年前、3000m隆起した。


人類が住み始めたのは、約8000年前
古代プエブロの家族で、バスケット作りをした。古代プエブロ族の定住により、
バージン・アナサジ文化西暦
500年が発展した。
パロワンのフレモント族もこの地域に住んでいた。
両グループは
1300年までに突如姿を消し、パルシッツ族などの南パイユート族に代わられた。


1858年にモルモン教徒によって発見
1860年代初めにはモルモン教徒が定住。


コロラド高原、グレートベイスン、モハーベ砂漠があり、
ユニークな地形とライフ・ゾーンの豊かさが動植物の多様性をもたらしている。
289種の鳥類、75種の哺乳類、32種の爬虫類、
4つのライフ・ゾーン、
砂漠、水辺、ウッドランド、針葉樹林があり。

カリフォルニアコンドル、ビッグホーン、ピューマ、ミュールジカ、
イヌワシが生息している。

植物はハコヤナギ、サボテン、セイヨウネズ、マツ、トネリコバノカエデ、
ヤマヨモギが生息。
ザイオンはトレッキング、サイクリング、キャンピング、
ロッククライミングが盛んでリピーターが多い。



ザイオン国立公園 #1
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ザイオン国立公園 #2
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ザイオン国立公園 #3
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ザイオン国立公園 #4
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ザイオン国立公園 #5
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ザイオン国立公園 #6
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ザイオン国立公園 #7
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ザイオン国立公園 #8
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ザイオン国立公園 #9
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ザイオン国立公園 #10
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ザイオン国立公園 #11
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米国ラスベガス写真家KEN KANAZAWA
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# by javaho3 | 2015-07-07 22:05 | ザイオン国立公園 | Trackback

モニュメントバレー 


モニュメント・バレーとは?

「アメリカの原風景」「ナバホ族の聖地」「世界一美しい朝日」

コロラド高原に位置、深い渓谷や山間台地の地形はユタ州とアリゾナ州にまたがるモニュメントバレーは、27千年前の地層が長い年月を経て、300mのメサの台地や風化や侵食が進んだビュートの岩山浸食を重ねた。


ロッキー山脈からの鉄分を大量に含んだ川の流れは下流地域一帯に沈泥となって堆積し、当時の酸素濃度は現在よりも高かったため鉄分の酸化が急速に進み茶褐色の色彩に成った。アメリカ先住民、ナバホ族の聖地、モニュメントバレーです。


巨匠、ジョン・フォード監督がこの独特な風景に心奪われ、「駅馬車」を始めとする多くの西部劇のロケ地として選んだことでも有名です。


ナバホ族のインディアン居留地区にあり、治外法権。正式名ナバホ・トライバル・パーク。人口約30万人インディアンの最大の部族。居留地区はナバホ・ネイション=独自国家でナバホ語を使う。アメリカ連邦政府はモニュメント・バレーを国立公園に指定したい意向を何度も申し入れたがこれを拒否。


モニュメント・バレーはナバホ族の聖なる地で、現在も11家族がモニュメント・バレー中に住んでいる。飲酒運転での死亡事故やアルコール中毒が問題で、ナバホ族の居留地区では飲酒が違法。


遺跡が多数あり、古代プエブロが西暦1300年頃を境に先住民は姿を消している。その後ナバホ族が定住するように成り、19世紀半ばの「ナバホ・キャンペーン」「ロング・ウォーク」と呼ばれる白人による略奪・迫害を受けている。


「マルボロのCM 2001年宇宙の旅」終盤でボーマン船長がスターゲートに遭遇する場面で、モニュメントバレーの風景が使用。 映画では、数多くあるが「ローレンジャー」「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3」「フォーレストガンプ」「イージー・ライダー」「テルマ&ルイーズ」「ため息つかせて」「ウインドトーカーズ」「ローンレンジャー」日本のTV、「ウルトラクイズ」日本のコマーシャル「チャールス・ブロンソン主演のマンダム」。ソフト・バンクのCM等のロケ地に成っています。


ナバホ族

かつてカナダの北西部に住んでいた。当時はアパッチ族と同じ種族で狩猟民族だったが北西部から南下する時期が異なり別々の種族になった。ナバホ族は14世紀から現在の場所、アリゾナ州、ニューメキシコ州に到達した。17世紀に成り、ナバホ族はスペイン人と出会いヒツジ、ヤギの飼い方を習い遊牧民に成った。


インディアン中の最大の部族、ナバホ族の伝統的な住居、ホーガンは半球型のかまくらの様な形でその辺り2億年前の地層で出来た赤土を使用。真上に煙突、朝一番の太陽の光を取り込む為東向きに入口があります。室内に入ると10畳位の広さで、内壁は直径20~30cmのジュニパーの丸太をキッチリ積み上げ釘は1本も使わず半球の型をしている。ドアの左が男の寝るところ、右は女の寝るところで家の中は時計回りに回る決まりがあり、明りはガソリンランプである。ホーガンは、木組みと土で出来たイグルーのような形の、独特の伝統住居を持つ。

「ホーガン」で暮らす伝統派のナバホは多い。石炭の採掘業者が掘削に地下水を使う為、保留地は慢性的に水不足であり、雨乞いの祈りが今も盛んである。呪い師による「砂絵」を使った呪術が盛んである。スー族と文化交流が盛んで、ティピーやサンダンスなど、平原部族の文化を採り入れるように成った。


羊毛、石炭・ウラン採掘など。外部の石炭開発業者の開発で水源が破壊されており係争中である。羊の放牧は年次ごとに連邦管理官のチェックがあり羊が許可頭数を超えていた場合、管理官によって強制的に処理させられる。羊の放牧は女の仕事である 第二次大戦以来、ウランが連邦政府によって採掘されて残滓が放置された。知らずにホーガンの材料にするなどして汚染が広がり、人的な放射能被害が深刻である。核実験場からの死の灰の影響もあり、放射能被害者を総称して、「風下の人々」と呼ばれる。




モニュメントバレー #1
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モニュメントバレー #2
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モニュメントバレー #3
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モニュメントバレー #4
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モニュメントバレー #5
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モニュメントバレー #6
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モニュメントバレー #7
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モニュメントバレー #8
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モニュメントバレー #9
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米国ラスベガス写真家KEN KANAZAWAルート66、ゴーストタウン写真集
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# by javaho3 | 2015-07-07 21:57 | モニュメントバレー | Trackback

ナバホ族とモニュメントバレー



インディアンは元々アジア系のモンゴロイド

北アメリカ大陸に最初に住んだ人々はアジア系のモンゴロイドである。インディアンは氷河期であった3年前から1万年前に、食糧と成る獲物を追ってベーリング海を渡りシベリアからアラスカを経由し、広大なアメリカ大陸各地に分散していった。インディアンは母系社会で人口は余り多くはありませんでした。インディアンは統一したアイデンティティが無く、部族それぞれが独自の共同体を作りアメリカ中に移動していた。


ナバホ族=ディネ

南北アサバスカ語族の自称。カナダのインディアン部族、「ヘアー・インディアンの事。アラスカからカナダにかけて先住するインディアン部族のグループ名。アメリカのインディアン部族のナバホ族、アパッチ族の事。言語は「ディネ」の内、ヘアー・インディアンの言語は、北西カナダの言語グループの北部アサバスカ語である。「ヘアー・インディアン」ディネはカナダの北西部の極北地帯から南西部にかけて先住するアサバスカ語族系の狩猟民。カナダでは、インディアン民族はファースト・ネイションと呼ばれる自治共同体を形成しており、ヘアー・インディアンもこの一つである。「ディネ」は、「流れと大地」を意味。


多数のバンドに分かれティピーによる平原での狩猟をしており、領域にヘラジカなど大型の獲物が少ないことから事にカンジキウサギ=ヘアーを主食としている。冬季には慢性的な飢餓に苦しめられ、人肉食の記録も数多く残されている。エスキモーに似た風俗で、「ヘア・インディアン・ドッグ」という独自犬種を犬ぞりに使う。カナダ政府の同化政策によって、伝統的な生活は消滅しつつある。


ヘアー・インディアンは5つの氏族で構成されている。

1、チペワン族(ディネスリネ)グレート・スレイブ湖畔に先住する。アメリカ・インディアンのチッペワ族とは無関係。

2、トリ、チョ族(ドグリブ族) グレート・スレイブ湖とグレート・ベア湖の中間に先住する。

3、イエローナイブス族(タツァオチネ族) グレート・スレイブ湖の北に先住する。現在はチペワン族傘下に入っている。

4、スレイビー族(デーガーゴチンネ、またはデーチョ族) デーチョ川(マッケンジー川)からグレート・スレイブ湖畔南西に先住。

5、サーツ族(サーツ・ティネ族) ベア湖畔に先住。


ナバホ族は、インディアン最大の部族である。ナバホ族の伝統的な住居、ホーガンは半球型のかまくらの様な形でその辺り2億年前の地層で出来た赤土を使用。真上に煙突、朝一番の太陽の光を取り込む為東向きに入口があります。室内に入ると10畳位の広さで、内壁は直径2030cmのジュニパーの丸太をキッチリ積み上げ釘は1本も使わず半球の型をしている。ドアの左が男の寝るところ、右は女の寝るところで家の中は時計回りに回る決まりがある。明りはガソリンランプを使用する。ホーガンは、木組みと土で出来たイグルーの形の独特の伝統住居を持つ、「ホーガン」で暮らす伝統派のナバホは多い。


ナバホ族はかつてカナダの北西部に住んでいた。元々はアパッチ族と同じ種族で狩猟民族だったが北西部から南下する時期が異なり別々の種族になった。ナバホ族は14世紀から現在の場所、アリゾナ州、ニューメキシコ州に到達した。17世紀になり、ナバホ族はスペイン人と出会いヒツジ、ヤギの飼い方を習い遊牧民になった。石炭の採掘業者が掘削に地下水を使う為、保留地は慢性的に水不足であり、雨乞いの祈りが今も盛んである。呪い師による「砂絵」を使った呪術が盛んである。スー族と文化交流が盛んで、ティピーやサンダンスなど、平原部族の文化を採り入れるようになった。


羊毛、石炭・ウラン採掘など。外部の石炭開発業者の開発で水源が破壊されており係争中である。羊の放牧は年次ごとに連邦管理官のチェックがあり羊が許可頭数を超えていた場合、管理官によって強制的に処理させられる。羊の放牧は女の仕事である 第二次大戦以来、ウランが連邦政府によって採掘されて残滓が放置された。知らずにホーガンの材料にするなどして汚染が広がり、人的な放射能被害が深刻である。核実験場からの死の灰の影響もあり、放射能被害者を総称して、「風下の人々」と呼ばれる。


第二次世界大戦とナバホ族

ナバホ族は米軍兵として第一・二次の両世界大戦に徴用された。インディアンに米国籍が与えられた直後の第二次大戦では、35万人の全インディアン人口の内、44千人以上のインディアン男性が米軍兵と成った。「コードトーカー」と言われ。ナバホ族の言語は暗号として使われた。暗号としてのナバホ語の利用は、日本に対して行われたのである。



ナバホ族 モニュメントバレー #1        下からアリゾナ州、ナバホ・ネイション、アメリカの星条旗
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ナバホ族 モニュメントバレー #2        昔のモニュメントバレーの道
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ナバホ族 モニュメントバレー #3        数多くのウエスタン・ムビーのロケ地
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ナバホ族 モニュメントバレー #4        ナバホ族は、何かの記念のお祝いの時ここで写真を撮りに来ます。
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ナバホ族 モニュメントバレー #5        数年前他界されましたがフランクさんのお孫さん
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ナバホ族 モニュメントバレー #6        ナバホ・ガール
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ナバホ族 モニュメントバレー #7        ナバホ・ダンサー
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ナバホ族 モニュメントバレー #8        ナバホ・ダンサー
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ナバホ族 モニュメントバレー #9
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ナバホ族 モニュメントバレー #10
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ナバホ族 モニュメントバレー #11       インディアン・ジュエリー 魔よけの聖なる石
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ナバホ族 モニュメントバレー #12
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ナバホ族 モニュメントバレー #14       ナバホラグの作家
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ナバホ族 モニュメントバレー #15       友人のジョン
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ナバホ族 モニュメントバレー #16        今は一番右のチーフ以外はいませんが、ロ―ワ―・アンテロープのメンバー
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ナバホ族 モニュメントバレー #17
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ナバホ族 モニュメントバレー #18
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ナバホ族 モニュメントバレー #19
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ナバホ族 モニュメントバレー #20
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ナバホ族 モニュメントバレー #21       友人のローズ
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米国ラスベガス写真家KEN KANAZAWA
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# by javaho3 | 2015-06-04 02:07 | ナバホ族 | Trackback

アコマ・スカイシティ


アコマ・スカイシティー 空中都市 1000年の歴史の天空都市 ニューメキシコ州

アルバカーキから西に約100km に天空の都市、アコマ・スカイシティーの集落がある。112mのメサの上に建設された、プエブロ・インディアンのアドベ建築の集落である。「スカイ・シティ」又は「天空都市」と呼ばれている。

アコマ・プエブロの部族の総人口は約6000人である。アコマ・プエブロ居留地区には2802名の居住者がいる。アコマ・スカイシティーの人口は、以前は1000人を越える人々が暮らしていたが、現在13家族、約50人が、電気も水も下水もなく、伝統的な生活が続けられている。


アコマ・プエブロは長い年月、他部族と交易や交流が盛んで、以前はアステカやマヤの人々との交易も行った。又言葉が異なる他のプエブロとの間の同盟を結んでいる、特に近隣のラグナ・プエブロとの関係が深い。


アコマ・プエブロはアメリカで最古の集落で、10世紀以前にアコマ・プエブロの村を建設した。メサの断崖の上にある、プエブロ集落は侵略者に対する防護の目的で造られた砦です、以前は、砂岩に掘った階段で出入りし農耕を営みメサの下にトウモロコシなどを育てた。かまどでパンを焼きますが、イーストと小麦とラードしか使わない白いパンが主食です


「アコマ」という名前の由来は、アコマの名前は、ケレス語で「アーク」が「白い岩」、「メ」が「人々」を意味があり「白い岩の人々」から来ている。又は「アーク」は「備える」を意味する「ハーク」に由来し、メサの上の防衛に適した場所を意味する。


アコマの人々は伝統的な宗教を持っているが、スペイン人のカトリックの慣習も取り入れている。アコマの人々は何世紀にもわたって他部族と交易や交流をし、ヨーロッパ人の侵略以前はアステカやマヤの人々との交易も盛んに行っていた。プエブロでも異なる言葉を使うが、他のプエブロとの同盟を結んでいて隣接するラグナ・プエブロとの関係が深い。


争いの歴史
ヨーロッパ人は1540年に初めてアコマ・プエブロと遭遇した。1598年、スペイン王室による領有を宣言した。

159810月、スペインの探検隊がアコマ・プエブロから食糧を盗みに来た時アコマ族と戦いに成り、13人の隊員が殺された。


15991月スペインの探検隊は報復し、800人のアコマの人々が殺害され、500人の女性と子供が奴隷にされた。生き残った25歳以上の男性80人全員の片足を切断した。


サン・エステバン教会は1629年に建築開始、完成は1641年である。プエブロの建築様式。かつての住宅への入り口は2階であり、敵が攻めてきたらはしごを引き上げた。アコマの伝統工芸品は、繊細な形と模様の壺を作ることで有名です。


長い争いの歴史を持つこの村では1598年のスペイン人との戦いで村が殆ど破壊されて再構築された。現在、家はタオス・プエブロと違って平屋が殆どですが、元来の建築である二階建の家も少し残っている。


伝道教会とプエブロ集落は、国定歴史建造物に登録され、2006年にはナショナル・トラストの史跡に登録された。




アコマ・スカイシティ #1           一本の道、メサの上からは敵の来るのが良く見える
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アコマ・スカイシティ #2
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アコマ・スカイシティ #3           天空の都市
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アコマ・スカイシティ #4           入場制限があります。
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アコマ・スカイシティ #5 アコマ・プエブロ
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アコマ・スカイシティ #6
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アコマ・スカイシティ #7
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アコマ・スカイシティ #8
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アコマ・スカイシティ #9
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アコマ・スカイシティ #10 かまどでパンを焼きますが、イーストと小麦とラードしか使わない白いパンが主食です
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アコマ・スカイシティ #11
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アコマ・スカイシティ #12
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アコマ・スカイシティ #14 サン・エステバン教会は1629
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アコマ・スカイシティ #15
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米国ラスベガス写真家KEN KANAZAWA
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# by javaho3 | 2015-06-01 04:45 | アコマ・スカイシテイ | Trackback